なりたかったもの。
どうでもいい筆者の夢を聞いてください。
幼い頃から筆者はそれはもう本が好きで、時間があればすぐに読書に励むような時代を送ってきました。
中高生になるとそれはもっと加速し、気が付けば自身が物語の語り部として作品を作るようになっていました。青いですね。
思い出としては、高校二年生の夏、課題に作文があったのですが、所謂「生活作文」や「読書感想文」というものが筆者は苦手で、書けないことはないけれど進んで書く気が起きなかったのでした。
そうして気が付けば夏休みも終わりに近づいていて、焦った筆者はあることを思いつきます。
「そうだ、小説を書こう」
と。
短編ならちょうど、原稿用紙の枚数もそこまで増えることもないからいいだろう。
そんな軽い気持ちで書き始めました。
・・・
結論から言うと、筆者の思い付きは結果的に筆者自身の首を絞める行為となったわけです。
なにしろ、書き上げた小説は、原稿用紙43枚分もありましたから。
(……ということは200字×43枚=8600字
よくもまあこんな字数を半日で書き上げたものです)
そんな風に青かった筆者もいつの間にか大人の仲間入りを果たし、日々仕事に追われる毎日を送っている訳なのですが、
やはり子供の頃描いた夢というのはなかなかに思考の端にこびりついていて、今でも筆者をたまにつつくのです。
書かなくてもいいのか、と。
正直、今でも本は好きですが学生時代に比べるとだいぶ読まなくなってしまいましたし、書く、という行為も日記をつけることくらいになってしまいました。
しかし、なぜ今更になってこんな記事を書いているのかというと、やはり根底では物語を作りたい思いが渦巻いているからでしょう。
先日、ご縁があって歌詞を書くという仕事(無償なので仕事ではないかもしれませんが)に携わらせてもらっているのですが、歌詞というのも起承転結やらなにがしかのつながりがあって初めて成り立つもので、それを考えているうちにどうしても物語を一編作りたくなってしまったのです。
筆者は小説家ではありませんが、物語を書き始めると決まって自分の殻に閉じこもってしまいます。
局所的な鬱のような、書き終えればなくなってしまう類のものです。
皆さん同じような経験をされているのでしょうか。
筆者は今、なりたかった小説家という夢を傍らに置きながら仕事をしています。小説家のしの文字もない、似ても似つかない仕事です。
筆者にとって仕事は唯一無二ですし、嫌いではありませんが、この仕事に就いている限り夢が叶うことはおそらくないでしょう。
いつかなりたかったものに手を伸ばせるのか。
中途半端になってしまいましたが今回はこれで終わります。
次回からは今までと同じく小説を題材にしたブログを書いていこうと思います。
教科書と追想。
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる
【汚れつちまつた悲しみに《山羊の歌》より】著:中原中也
幼い頃を振り返ると、その視点の違いにふと驚かされることがあります。
澱の無い子供の視点であったものが、気付けば180°がらりと、形も色すらも変えて見えてくることが多くなりました。
筆者は最近、そんな感傷に揺り動かされる機会が多くなってきたような気がします。
それは社会に出て、物事の本質とやらを幾度となく目にすることが増えたからでしょうか。
中原中也は、大正から昭和にかけて活躍した詩人です。
幼い頃から家業である医者になることを期待されたものの、愛する弟の死によって文学の道へと進み始めた中也。
そんな彼が、どんなことを胸に秘めながら詩を書き続けていたのか……。
その理由は、当事者である中也本人以外には知り得ません。
しかしながら、彼が遺した詩は今も語り継がれ、今日を生きている人々の手に渡り続けています。
筆者が初めて中也の詩を目にしたのは、小学生の頃でした。
教材はこの冒頭にもある、【汚れつちまつた悲しみに】です。
第一印象は、「ただただ悲しい詩」と言ったところでしょうか。
汚れた悲しみ。……
当時筆者にとっても、その他の同級生たちにとっても、悲しみは悲しみ以外の何物でもなく、いやなことをされて悲しい、とか、
大好きだった友達が転校してしまって悲しい、だとか、
そういうわりかし実質的な、理由ある悲しさの中にしか身を置いていなかったと思います。
ですから「汚れてしまった悲しみ」などという漠然とした風合いの言葉に理解など出来ようはずもなく、けれども、
「あぁ、この人はとにかく悲しいんだな」
と、分からないなりに感じたりしたということを覚えています。
……とはいえ、大人になった視点でなら理解できるのかと言われれば、またそうでもないのですが。
かの文豪、芥川龍之介が死の直前に遺した言葉。
「僕の将来に対するただぼんやりした不安」
こういった、ある種の理由の分からない不安や絶望感に近いのだろう。
と、今の筆者はそう自説を立てています。
中原中也の詩の特徴的なところは、その殆どが直接的な表現で書かれていないことだと思います。
どんなに詩を読みこなしても、中也の感情、その本質には触れることができない。
しかしながら、そこが中也の詩の良さなのだろうとも筆者は思っています。
掴めない文脈の、その間隙に込められた余韻。
これは筆者の読書好きが高じているのかもしれませんが、文章を書く上で余韻は大きな意味を持っていると言っても過言ではないでしょう。
だからこそ中也の詩は、暗いものが多いながらも不思議と、口ずさみたくなるようなフレーズが多い気がします。
「汚れつちまつた悲しみに」
「あゝ 疲れた胸の裡《うち》を
桜色の 女が通る 女が通る」
……口ずさんでみたくなりませんか?
教科書でさらりと通り過ぎただけなのに、後々に至るまで身体のどこかに残り続ける詩もなかなか珍しいのではないかと思います。
言うなれば中也の詩は、飴玉のようなものではないかな……などと。
(飴玉で済ませられるほど内容は軽やかではないのですけれどね。)
耽美で流麗な文章であるからこそ、舌の上でいつまでも転がしておきたくなるのかもしれません。
中原中也の世界観、手に取って味わってもらえたら、中也好きの筆者としては嬉しい限りです。
後書きのようなものとしてそえておきます。
久しぶりの投稿になりました。
なかなかコツコツと投稿することができず、固定の読者なども得にくい筆者のブログではありますが、少しでも目を通していただける方がいてくだされば嬉しいなと思います。
では。
珈琲。サザエさんと一時の憂鬱。
週末になると、ふらりと珈琲を飲みに行きたくなる。
大の珈琲好きという訳でもなく、煙草のお供として嗜むことが多い気がする。
地元でも都会に出ても、ふと気付けば何処かの喫茶店へ足を運んでいる。
香しい、静謐な空気の中で過ごす時間は、何物にも代えがたい価値があると筆者は思う。
閑話休題。
「サザエさん症候群」なるものをご存じだろうか。
サザエさんと言えば、もはや国民的アニメの代表作たるものと言っても過言ではないだろう。
サザエさんが放送されるのは毎週日曜日の午後6時半。
あと数時間で次の週が始まってしまうという憂鬱な気持ちが自然と湧いてくる時間帯、その時間にピタリと当てはまっている=サザエさん、すなわちサザエさんを目にしたり、思い出したりするだけで憂鬱な気分が襲ってくるという、云わばパブロフの犬のような状態に陥っていることを総称して「サザエさん症候群」と呼んでいるようだ。
かく言う筆者も、その病(?)に毎週侵されている人間のひとりなのだが。
仕事に関して、決してモチベーションが低いわけではないはずなのに、どうしてこうも憂鬱になってしまうのか日曜日。
密度の濃い週末を過ごした上で憂鬱になるのはとてもよく分かるのだが、週末起きている時間の方が明らかに少ない筆者が憂鬱になるのは何とも解せない気持ちでいっぱいである。
さりとて今日も正午を迎えてから起き上がるというなんとも体たらくな始まりだったというのに、数時間後の今どよーんと沈んでいるのだから……憂鬱が聞いて呆れる。
きっと今頃テレビの向こう側でサザエさんもため息を吐いていることだろう。
空と人生と。
たったいま死んでいい という言葉が思い浮かぶ瞬間があって
そう口に出さずにいられないほどの強い感情があったとしても
その言葉通りに本当にその場で死んだ者がいるかどうか
【夜のミッキー・マウス 《五行》より 著:谷川俊太郎(新潮文庫)】
その界隈では有名な詩人、谷川俊太郎さんの著作の一つ、「夜のミッキー・マウス」。
谷川俊太郎さんの魅力は、なんといっても言葉選びのセンスにあるだろう。
詩は小説と違い、短いセンテンスでどれだけのことを伝えられるかが大切になってくる。
抽象的過ぎると誰にも伝わらず、情景描写が多ければ本当に伝えたいことが見えなくなる。
もしかすると、詩を書くことは小説を一つ書き上げるよりも難しいものなのかもしれないとさえ思う。
それを谷川さんは、なんなくやってのける。
言葉は単純で、誰だってわかるものばかり。
それなのに何故、谷川さんの紡ぐ言葉たちにはこれほど、切実さとはかなさが組み込まれているのだろう。
谷川さんの作品には、人間のことを描写したものが多い。
作品を読んでいると、谷川さんは人間社会の風刺に近い作品が多いのに、その根底は人間への愛や好意で満ちているように思うのだ。
傍から見れば堕落したような人間の描写も、谷川さんの手にかかれば「非常に人間らしい人間」として読者の目に映る。
憎みきれない、愛さざるを得ない人間。
そんな人間像を描ける貴重な人間が、谷川俊太郎という詩人だと筆者は思う。
閑話休題。
タイトルにある、一眼レフと空と人生の話をしよう。
筆者は、空を撮るのが好きだ。
例えそれが平日であろうが休日であろうが周囲に人が居ようが居るまいが関係なく。
空の、あの引きこまれるような色味と模様。
筆者が空にカメラを構えるのは、主に晴れた時が多い。
例えばこれ。
当時住んでいたマンションの上階から撮ったものだ。
陽の沈む直前の、黄金色に反射する雲。
山と雲と空と、グラデーションを描いているかのような色彩。
美しいものに惹かれるのは、社会人になってから色彩の欠けた景色ばかりに身を置いているからかもしれない。
これは仕事関係で長崎に行ったときに撮ったもの。
山々の間に見える海と、陽の差しこみ具合が美しく、カメラを向けた。
空を写真に収めるのは、簡単なようでいて、難しい。
自分が「今」撮りたいと思ったもの、「今」という概念の難しさ、とでも言おうか。
カメラを向けた時にはもう、望む景色は過ぎ去ってしまっていたりもする。
だからこそ、自分の撮りたいものが撮れた時の喜びは一際大きい。
筆者にとって空とは、雲ありきのものなのかもしれない。
雲があるからこそ、空は単調ではなく幾重にもその形を移ろわせることができる。
美しいからこそ、それははかないものによって作り出されている。
そんな風に思ってしまうのは、筆者の感傷だろうか。
筆者にとって風景を切り取ることは、筆者自身がその場に生きた証だと思っている。
生きていたからこそ、収められた風景。切り取ることのできた時間。
「生」や「死」について考えることが多いからこそ、時の移ろいや一瞬を鋭く感じることができているのかもしれない。
痛みや苦しみを簡単に手放すことは出来ないのがこの世の中の普遍的な事実だからこそ、人は幸せや喜びを見出すことに必死になるのかもしれない。
実は、冒頭でお借りした谷川俊太郎さんの詩には、続きがある。
――だが喃語《なんご》にまで溶けていかずに意味にどんな意味があるというのか
言葉の死が人を生かすこともある という言葉が思い浮かぶ
人間の行動のおおもとになっているものは、「生」。
例えば本当に苦しくて堪らなくて、自ら死を望んだとしても、安らかで心地よい生があればきっと誰だってその道を選ぶだろう。
だいぶ感傷的になってしまったが、
そんなことを深く考えされられる、今日この頃である。
脚注:
ビギナーズラック~旅行中《トラベリング》~
――それはまるで歌の文句のように僕の耳に残った。
「ミス・ホリデー・ゴライトリー、トラヴェリング」
筆者の愛読書の一つ、「ティファニーで朝食を」から抜粋させてもらった。
タイトルを耳にしたことがある人は多いのではないだろうか。
映画ではオードリー・ヘップバーンが演じていたと思う(……筆者は実際にこの映画を観ていないのでよく分からないが)。
ちなみに筆者が読んでいるのは、村上春樹訳の方である。
ヒロインは上記にある、ホリデー・ゴライトリー。周りからはホリーと呼ばれ、破天荒で気ままな生活を送っている見目麗しきメインキャラクターだ。
そして彼女、ホリデー・ゴライトリーの住む部屋の表札には、「ミス・ホリデー・ゴライトリー、旅行中《トラヴェリング》」とある……
このセンテンスに惹かれる理由は、もちろん村上春樹の言葉選びが美しいから、というのもあるのだろう。
しかしながら、「旅行中《トラヴェリング》」。
もの凄く旅心を刺激するものがあると思う。
かといって、自分の家の表札にそう記しはしないと思うが。笑
「ティファニーで朝食を」の話はあくまで前置きに過ぎないのだが(それでも一度は目を通してもらいたいと思う作品ではある。時間と余裕がある方には是非是非読んでもらいたい!出来るなら春樹訳で!)、本題はタイトルにある通り。
ビギナーズラックについてである。
ビギナーズラック・・・物事の初心者が持っているとされる幸運(
ビギナーズラックとは (ビギナーズラックとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
)
筆者は旅を始めてからまだ一年あまり。
旅人としては初心者の中でもかなり初心者のほうに分類されるだろう。
しかしなかなか、自分自身でも幸運に恵まれている方だと思う。
理由としては、
- 公共交通機関の乗降がスムーズであったり、
- (飲食店等の)予約が残り一枠での滑り込みに成功したり、
- 好天に恵まれる
こんなところだろうか。
旅先ではバックパックやその他の手荷物など、結構重量級の荷物を抱えていることが多い。そのため、1番のような状況はかなりありがたい。
(バックパックは筆者の身長の3分の2程度を余裕で占めている。混んでいる車内であれば身じろぎすることさえも苦行だ……)
そして2番。
基本的に、筆者が飲食店の予約を始めるのは現地に着いてからである。そのため、いいなと思った所を予約するのも、かなり直前になってからになる。
駅や観光名所の付近は予約は取れにくいだろう……そう思いながらもダメもとで電話を掛けてみると、案外サクッと予約できたりする。非常にありがたい。
そしてこの滑り込みで入ったお店がめちゃくちゃ当たりだったりするので、運というのはなかなか侮れないものだと思う。
最後に3番。
これは昔からのジンクスなのかもしれないのだが、筆者は外出先で雨に降られたことが殆どない。旅行においてもまた然り。
傘を持ち歩かなくても過ごせる旅行。
なんともストレスフリーで、ありがたい。
こういった(些細なことかもしれないが)幸運というのも、ビギナーズラックの一つなのかもしれないと少し思う今日この頃である。
前回のブログでは夏季休暇に訪れた京都のことについて書いたので、今回は去年の冬に訪れた島根県、兵庫県のことについても紹介がてら書こうと思う。
まず始めに、
島根県きってのパワースポット、出雲大社《いずもおおやしろ/いずもたいしゃ》である。
写真は出雲大社の境内の一つ、神楽殿である。
大きく見事な注連縄で飾られた神楽殿は、出雲大社のなかでもメジャーなスポットだろう。
実は出雲大社、筆者がお宮参りで訪れたことがあるという。実に、20年ぶりの再訪。
天気に恵まれ、青空のもとゆっくりと参拝することができた。
八百万の神様、筆者は無事成人いたしました。(安堵)
続いて訪れたのは、姫路城《ひめじじょう》。
白い城壁と青空のコントラストが眩しい。
旅を始めてから、城というものの奥深さを分かり始めた気がしている。
実は島根でも、偶然発見した城へ足を運んでいた。(その城についてはまた折をみて書こうと思う)
筆者は日本史に疎いのでこの城の歴史を語れはしない。けれど、日本という国の歩んできた道のりを顕してくれる重要なものであるとは言える。
今度は、もう少し歴史を頭に入れてから城めぐりをしてみようか。
実は島根、兵庫以外にもう一か所訪れたところがある。
それがここ、万博記念公園・太陽の塔《ばんぱくきねんこうえん・たいようのとう》である。
正直、筆者の生まれる随分前に開催された日本万国博覧会についての知識はまったくないのだが、ただただこの、太陽の塔を間近で見てみたいがために訪れた大阪である。
青空という美術館の中で、ただひたすらに静かな芸術を見せつけられている(もちろん悪い意味などではなく)ような、不思議な気分になった。
この日は訪れている人が少なかったからかもしれない。
見る人によって感想は異なるのかもしれないが、筆者は好きだ。
ちなみに、この後「岡本太郎記念館」なるところで不思議なキャラクターグッズを購入した。ピンバッヂであったそれは今でも、筆者の仕事用リュックの目印になっている。
ミス・ホリデー・ゴライトリーのような、奔放な生活を送ろうとまでは思わない。
しかしながら、筆者はできるだけ自由に、のびやかに旅がしたいと思う。
そしていつか筆者の部屋の表札の片隅に小さく、
「旅行中《トラヴェリング》」
などと記せる日が来ればいいとほんの少し、願っている。
脚注:
「ティファニーで朝食を」著:トルーマン・カポーティ 訳:村上春樹(新潮文庫)
旅がしたい。そこに尽きる。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」
きっと学生時代に、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。
「舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老ひを迎ふるものは、日々旅にして旅をすみかとす。」
一体どのような価値観で生きていれば、こんな文章が書けるのだろう。
日々旅にして旅をすみかとす、なんて一度でいいから人前で使ってみたいものです。
このブログ、「ひの。~ゆるやか放浪記~」は、畏れ多くも偉大なる俳人、松尾芭蕉大先生の文章をお借りして始めさせてもらいました。(某呟く青い鳥のサイトなら非難されてしまうだろうか......もちろん、記事の終わりに脚注は添えさせていただきますので!!)
唐突ながら、プロフィールをば。
プロフィール
- NAME 日野 公人《ひの きみと》
- AGE 21
- GENDER ♀
- HOBBY 読書、カメラ、旅行
ざっとこんなところでしょうか......
付け加えるとすれば、現在社会人3年目の、まだまだ青くさい独身貴族とでも。
ちなみに、趣味にあるとおり旅は今の筆者の人生の原動力になっているものです。
とはいえ旅を始めたのは昨年の冬、旅人としてはビギナーもビギナーでしょう。
ブログ「ひの。~ゆるやか放浪記~」は、筆者の旅の計画と、その健忘録としてちまちまと書き連ねていこうかと思っています。
早速、趣味の紹介を兼ねた健忘録を。
これは、この夏に行った「伏見稲荷大社」。
日の暮れ時に参内したこともあり、灯篭の明かりが仄かに浮かび上がっています。
古都京都へ足を運ぶのはこれが初めて。
とはいえ行楽シーズン、ゆっくりゆったり周れるような雰囲気でもなく、外国語に背中を押されながらの割とせかせかした観光になってしまいました。
こちらは、清水寺へ向かう八坂通りにそびえる「霊応山 法観寺」。
古都にふさわしく、昔ならではの街並みの中に鎮座する五重の塔。
軒先に咲いていた赤い花と法観寺の組み合わせに、思わずシャッターをきってしまいます。
さすがは京都、歴史の街です。
そして、かくも有名な「鴨川」。そこに集まっていた鴨のうちの一羽。
京都を縦断するように流れている川なのに、もの凄く水が綺麗。
筆者の地元である福岡ではなかなかお目にかかれない光景でしょう。(都心部あるあるなのかもしれませんが。)
そんな、もの凄く綺麗な川の中で、鴨以外のたくさんの鳥たちも水浴びをしていました。
ちなみに写真の鴨、筆者がカメラを構えた当初はおやすみ中でした。
撮り始めて数分も経たないうちにこの表情。水面のコントラストも相まって、凛々しいですね。
先述した松尾芭蕉大先生は、「おくの細道」のような随筆のほか、旅に関する俳句などを多く遺しています。
死の間際にもそうやって旅の俳句を詠んでいたということだから、相当な旅好きだったのだろうなと。
「ひの。~ゆるやか放浪記~」でも、そのような旅の記録を多く残せたら、と思っています。
これから、不定期ながらもぼちぼち更新していくつもりなので、もしよければ一読していただけると有難いです。泣いて喜ぶかもしれない。
脚注: